TOP>本会について

沿革

             日仏演劇協会活動再開に当たって

 

                                 事務局長 佐伯隆幸

 

 日仏演劇協会が事実上の休眠状態になってなん年になるか。もうひと世代くらいは優に経っていよう。こういう場処があることさえ、この国のフランス演劇研究者の多くはともかく、もとより演劇の現場は知らないにちがいない。そこらは徐々に検証するつもりだし、すでにその作業は当会の新実行委員たちの手ではじまっているが(当会企画ページ参照)、この短いとはいえぬ活動停止期間のあいだに、フランス演劇の地平でも、また、この国の演劇にも、さまざまな変化や推移や転位があった。それらを常時両の眼でつぶさに睨みながら、わたしはなんとかして、なんらかの仕方で方の軸を有機的に噛みあわせられないものかと(わたしは、フランス演劇の一応の研究者であるとともに、この国の演劇の批評家のはしくれである)、切歯扼腕するというと大仰にすぎる、渇望していた、いや、正確にいおう、この回路があることを失念していた、もとへ、忘れていたわけでは決してない、いわば座視していた。事由はいろいろある。かつて『日仏演劇協会会報』を一緒につくった仲間たちも自分の仕事に追いまくられ続けているし、いつもながらの東京の常套句的状況、日々の超過密状態にかまけて到底そこまで踏みこむ余裕はなかったといっていい。おかげで、『会報』も長いあいだ休刊だ。その間、わたしは、双方のあいだに自明の(とみなされる)隔たりや差異を設定することなく、かといって、両者が同一だといったこれまた自明の、しごく便利に流布する通念に抗いつつ、わたしなりに違うものは違うと、どちらにあってもだめなものはだめと、ときに応じて両方の演劇世界を等しく思考対象にあれこれ気ままに綴ってきてはいたけれど、しかしながら、個人の営為では所詮幅は知れているし、そうした言説が届く範囲も限られていよう。アングラの時代ならいざ知らず、東京の演劇を語る場合にすら、その語りと読みのあいだには一定の基底部の共有が必要である、まして、そこに西欧演劇の、仮に常識的レヴェルであっても、なにかを噛ませることは至難である、そのくらいこの国の演劇は「演劇とはなにか」の最低部分さえ共通孔をもたないのが現状なのだ。その打開を個人わたしひとりで担いきれるだろうか。冷静に考えて、多くのことが多くのひとに共有されねばなにもはじまらないだろう、その一歩を踏みだすべきかどうか、またぞろ ……。

 それやこれや、どうしたものかと考えている矢先、この会を再度立ちあげるべけんやの声が起こり、昨秋、わたしは思いがけなく当組織の事務局長を仰せつかった。規模は小さいとはいえ、その昔フランス演劇の初歩を教わった鈴木力衛先生が会長であったこともある古い歴史をもつ会である、いささか荷が重い気分もなくはなかったが、現会長に相談し、その結果、前事務局長伊藤洋先生のあとを継いでそれを引き受けることにした。所感でいけば、伊藤先生にまことに長いことご苦労さまである。わたしごときに仕事がつとまるかどうか少々心もとないが、つまるところ、フランスの演劇だけではない、この東京の演劇も知る人間がいまやこうした団体には不可欠なのだろうと勝手に想像し、生来の向こうみずで一歩踏みこむことにしたわけである。こうした事情をまずは、古くから所属しておられる会員諸氏にはご了解願いたいと思う。そして、この会の活動再開がこの国の演劇にとっても、「フランス語圏演劇」にも必要だと考えるからだし、日々の忙しさはあれ、それにかまける余裕などもうない、この向こうみず、一種の蛮勇が現代世界演劇を複数で考える営みにとっては欠かせないと思えたからだということも、である。

 そこで、会の規約を思いきって変えることにした。かつては「フランス演劇」の紹介、「受容」をおそらくは主目的としていた会の趣旨をいまあるフランス語圏演劇の総域を自分たちの対象領域とし、かつ同時に、この国の演劇をも関心領域にする双方向性に改めた次第である。いうまでもなく、すべての日本の演劇がこの会の活動目線の範囲に入るわけではない、そんなことは徒労だし、手にも余ろう、そうではなくて、現在のフランス語圏の演劇においてこの国の演劇と相互関与的なものなら、いっさいがわたしたちの研究や批評や関心の的となるということである。会長の挨拶にもあるように、それがまことに、その応分のスケールで受容されているかどうかは大いに疑問にしても、文化予算や金銭の問題も介在して、現在の日本にはフランス語圏に限らず、ヨーロッパ圏(それだけでは、むろん、ない)の種々の演劇がいってみればめまぐるしいほどに途切れることなく来訪し、劇作家、演出家や研究者の交流といったものはもうありふれていて、枚挙の暇があるまい。そう好きな言葉ではないが、舞台や演劇研究の「交流」といったレヴェルで、すでに世界演劇の現状は鈴木力衛の代とは大きく違ってきているともいって過言ではない。それでいて、(おそらくは)主催者側の少なからぬ努力にもかかわらず、これまた会長の言通り、フランス語圏現代演劇はこの国できちんと研究されているとも、批評的に受けとめられているとも、誤読を含め、興味深く観られているともいえず、加えて、本年がドイツ年であったことも手伝って、ドイツ語圏演劇は多少とも開示されたけれど、まっとうな翻訳すら、充分に姿をみせているとはいい難いのである。「かれら」はやってき、そして、なんの痕跡も残さず、去っていく、過半はそれだけ、実態は一種のイヴェント・インフレだ。そして、それでいて、きわめてパラドクサルながら、この国の演劇がフランス語圏演劇に手を染める機会は、あるいは「一国自立主義」が主流であったアングラ期(それには所定の理由があったことは忘れるべきでない)よりははるかに広がったといえるかもしれないとしても、それらは、近い例で『繻子の靴』新訳の全幕「オラトリオ」という壮大な冒険や実験も入れてなるほどいくつかの例外はあるだろう、が、創造的な上演や「ミ・ザン・ネスパス」や生産的誤読とはこれまたなかなかいいにくい、(誤読はこういう場合のつねであるとはいえ)、いぜんかなりわびしい読みに留まっている布置が一般的ではないのか。ここにはたぶんこの国の文化に特有の構造があるだろう。多少ながらフランス語圏演劇もこの国の演劇も知っているわたしは、みていて、それらをやはり残念だと思うし、この構造になんとか嘴を入れ(なんなら、容喙する、といおうか)、少しでも事態を変えたいと思う。

 フラン語圏演劇と日本の演劇を違いは違いとして把捉し、そこを架橋すること、ないしは、知であれ、舞台であれ、相互の(あるいはありえないがゆえにこそ意味のある)同時代的関係性をしっかりとみいだすこと、簡単ではないだろうが、シェフ・ドルケストル渡邊守章のもと、わたしがなによりもまず推進してみたいと考えるのはそこらのことである。

 幸い、わたしのような老人(oh ! ... là, là…)が過労で息をぜいぜいさせているあいだに(個人的余談だが、それにしても、会長のタフなこと、煽られることこのうえない)、フランス語圏演劇の若い、秀でた研究者も、また、さっきの例外ではないが、そこの演劇に一定程度関心を抱く芝居の現場も若干は可視的になってきた。そこらを測定し、介入し、そして、場合によっては、尊大ないい方とも聞こえようが、別にそんなつもりはない、場合によっては、それらを束ねつつ、かれらの力を借りつつ、わたしたちはそうした方向でやれることのすべてに手をつけるつもりである。当面その若い方々に実行委員となって頂いて、わたしを支える式の新しい組織形態にしたのもそのためである。実行委員は約十人、精鋭である、かれら若手に十二分に支えられながら、わたし自身もこの国の演劇に対して、また、フランス圏演劇に向かってわたしの言説を紡ぎ、鍛えるつもりでおり、それはまた現会員全体の一致した問題意識でもあろう。金はそうない組織だが、会員全員の知をフルに動員、駆使、存分に「言葉」を育むこと、それでこの国の演劇を(ふたたび)面白くしたいと思っているし、ひいては、必ずしもうまくは噛みあっていない学問と現場を繋げ、それでもって次代を用意できれば申し分なし、なによりもまず、そしてつねに、世界に対して思うさま知的に、素直に「貪欲になれ」と演劇に関心をもつ者すべてに、われわれは発信する。

 やがて雑誌『会報』を復刊させる意向だが、まずもってこの時代的にホーム・ページを立ちあげることにした。是非関心をもってこの頁を追跡して頂きたいし、上演参加、講演会、研究会その他、さまざまな計画を企画しているので、なによりも、当会に入会して頂きたいと思う。

 以上、事務局長としての当面の挨拶。不遜のいい草があれば、平にあらかじめのご容赦のほどを。(5/12/05)