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ご挨拶

              日仏演劇協会のために

 

                       日仏演劇協会会長 渡邊守章

 

 グローバル化などと叫ばれながら、そのことを肯定する側も否定する側も、現実の情報格差や情報欠如をまるで顧みない。驚くべき「ワン・フレーズ主義」はいたるところに蔓延していて、まともに議論したり、考えたりすることを億劫がっている。

 「情報」は、いうまでもなく、単に量の問題ではないし、ましてや、その質の選択はつねにきわめて重要である。大学における「研究」というようなことを少しでもまじめに考えた人ならば、現在の日本の環境がいかに精神的な堕落の上に立っているかは気がつくはずだ。

 「芝居は理屈ではない」式の「反・知性主義」は、一見知的であるかのように見えた「新劇」にも瀰漫していたし、いわゆる「小劇場第一世代」が、そういう知的怠惰にも立ち向かったことは、もはや記憶する人も少なくなっていよう。それはそれで問題にしても、しかも同時に、世界的にみて、研究にせよ、創造にせよ、「情報」の送・受信の仕組みがうまくいっていなければ成立しない世の中になって久しいのである。仮にフランス演劇をコアとして世界の現在の舞台芸術を眺めたときにも、それは歴然としている。たとえば、ミシェル・コルヴァン校注になるプレヤード版ジュネ『全戯曲集』は、単なる文献批判学の成果ではなく、世界中でのジュネ演劇の、劇場における受容に多くのページを割いており、十年か二十年前のようなフランス中心主義は、ここではもはや廃絶されているし、また、日本で起きていることも、具体的な映像資料や文字情報をもとに、きちっと把握されている。ところが、こういうテクストが刊行されてやがて三年にもなろうとするのに、日本ではそういうことが起きていることをさえ知らずに済ませて平気でいるし、相も変わらず和文和訳のようなことをして、それで世界が騙せると高を括っている人々はいる。

 演劇というにせよ、舞台芸術と呼ぶにせよ、研究である以上は、言説化の努力とその結実はまずもって重視しなければなるまい。「芝居は理屈じゃない」式の知的怠惰は自らの墓穴を掘っているのだということをいつでも忘れないようにしよう。身体を全的に巻き込む作業であるからこそ、言語も言説も大切にしなければならないのだ。

 日仏演劇協会が、そのような知的な価値生産にその位置と責務を見出さなくてよいという理屈はまったくない。今こそ、知的な作業を研ぎ澄ますこと。下手な「アートかぶれ」よりも、そのほうがよほど「世のため、人のため」である。
(23/10/05)